浄土宗・法然山地蔵院蓮台寺と公称し、寺部町随應院末である。
寛永2年(1625)、上野山村山内伊織重但(高知城主山内氏の一族)により建立され、随應院第七世然誉憶公上人(重但の次男)を開山として招き、地蔵院法然寺と称し、随應院の隠居寺とした。本尊は阿弥陀如来で、地蔵菩薩も安置されている。以後、上野山山内氏の墓所となっている。
四百年ほど昔、上野町西北部には、高松院をはじめ諸堂宇が数ヵ寺あり、永禄(1558~)年間、織田信長の進攻の兵火にかかり、諸寺が焼失し、わずかの佛像が運び出された。
天正7年(1579)高松院が再建され、焼け残った佛像が安置された。その中の阿弥陀佛像と地蔵菩薩像を、重但が奉持し法然寺を開創したのである。菩薩像は、切り金造り極彩色木像である。お前立の像は焼け焦げ、住時の兵火の痕跡を如実に物語る。延享3年(1746)四月聴誉還諦の時、知恩院の許可を得て、現在の公称に改められた。
明治5年(1872)4月、新明治政府の新学制による義校が、寺内に開設され、その後、変遷を経て現在の寺部小学校となった。